覚書003

そこに結晶するのは、生き続けるのをなんらかのかたちで妨げそうな記憶を抑圧する人間の能力に対する抵抗である。世界に突きださた人間はーーとノサックにはあるーー「背後をふりむく勇気がなかった。なぜならうしろは一面の火の海だったから。」
― 出典: カンポ・サント (ゼーバルト・コレクション) W.G.ゼーバルト [76ページ]

 

カスパーが受けた訓練は、彼のはじまりをすっかり忘れさせることはできなかった。カスパーはまだ学習したことの裏をかいて戻ることができるのだ。
― 出典: カンポ・サント (ゼーバルト・コレクション) W.G.ゼーバルト [59ページ]


「対話」が他者とのコミュニケーションの原形であるのは、その合理性から自由となる契機を、一対一という最も小さな単位が孕むからである。
― 出典: 詩的間伐―対話2002‐2009 稲川方人 [8ページ] 


過去の「すべての」敗者または被抑圧者は、実際には忘れ去られている。忘却されてはいるが、消滅したわけではない。前の用語を使用するなら、忘却から救いだされることを「待っている」。//現在の被抑圧者は自分「だけ」を解放することではなくて、「過去の他者たち」を解放することのほうがずっと重要であるということだ。少なくとも過去の他者(死者)を解放することは、現在の抑圧からの解放のための決定的条件である。
― 出典: ベンヤミン「歴史哲学テーゼ」精読 (岩波現代文庫) 今村仁司 [137ページ] 


甘い匂いを吸い込む。泣きそうになる。涙が決して出ないと分っている。投票も涙も許されない。夢のような夢でないこの状態は、私と私以外の人々にとって歴然とした、合理的なことだ。
― 出典: 実験 田中慎弥 [103ページ] 


エストラゴン さわらないでくれ!聞かないでくれ!なにも言ってくれるな!ただ、そこにいてくれ!
― 出典: ゴドーを待ちながら (ベスト・オブ・ベケット) サミュエル・ベケット [96ページ] 


ヴラジーミル そのほうがいいと思うんなら、いつだって別れられるんだよ。

エストラゴン 今じゃもうむだだろう。
― 出典: ゴドーを待ちながら (ベスト・オブ・ベケット) サミュエル・ベケット [92ページ] 


ぼくのそばから逃げないで!信じて!分かって!ぼくの魂の泥沼を乾かしておいて、今きみは雲の中。もう完全にきみの勝ちだよ。
― 出典: クレーの詩 (コロナ・ブックス (111)) パウル・クレー [19ページ] 


踊っているうちに足がもつれて倒れた。皮を剥がれたピンクの兎のように、頭から、お尻から、お腹から、そっと撫でたり揉んだりしているうちに生き返る。こんなこと、ずっとしていてもいいのかしら。
― 出典: 雪の練習生 多和田葉子 [153ページ]


「寒い」という形容詞は美しい。寒さを得るためなら、どんな犠牲を払ったっていいとさえ思う。凍りつくような美しさ、ぞっとする楽しさ、寒気のする真実、ひやっとさせる危険な芸当、あおざめる才能、冷たく磨かれた理性。寒さは豊かさだ。
― 出典: 雪の練習生 多和田葉子 [48ページ] 


バットで豚を殴り殺したあの男の性質が隠れているんじゃないかと、恐れているのか?しかし、寿万さんからもらった体もその体のどこかに潜んでいるかもしれないあの男の性質も、直通じゃない。全部、父さんを通じてお前に伝わっている。
― 出典: 神様のいない日本シリーズ 田中慎弥 [137ページ] 


海の色に自分の決意が表れてしまっている。誰かに気づかれてしまう。
― 出典: 図書準備室 田中慎弥 


安寿子の口から出たことになっている、この「世界で、同じ時、同じ所に、居あわせることになってありがとう」ということばは、むしろ私たちの作家が、知己たちにあてた永訣のあいさつであったように思えてならない。(中略)一九六三年の「アンケート」で、埴谷は「友人に一番のぞむことは?」と聞かれて、 無限の時間のなかで偶然一緒に生れあわせた哀感 と答えているからだ。埴谷がのこした多くのことばたちのなかでも、もっとも美しいもののひとつであろう。
― 出典: 埴谷雄高――夢みるカント (再発見 日本の哲学) 熊野純彦 [263ページ] 


「世界を透察し、説明し、けいべつすることは、偉大な思想家のすることであろう。だが、私のひたすら念ずるのは、世界を愛しうること、世界をけいべつしないこと、世界と自分を憎まぬこと、世界と自分と万物を愛と賛嘆と畏敬をもってながめうることである」
― 出典: シッダールタ (新潮文庫) ヘッセ [154ページ] 


映像はけっして鮮明ではない。ぼやけている。ひとつのアングルを選択し、この世が慈悲に満ち、やさしく見える瞬間を待つことによって、私の目配せからはいっさいの客観的な価値が奪われる。
― 出典: 不完全なレンズで―回想と肖像 ロベール・ドアノー [13ページ]

 

それらはわれわれを一ぱいに満たす。われわれはそれらを整理する。それらは崩れる。ふたたびわれわれは整理する、と、われわれが崩れ去る。
― 出典: ドゥイノの悲歌 (岩波文庫) リルケ [68ページ] 


最も大切に思うものによって、轢断されていく魂。だが轢断が、それを轢断の理由としたとおり、彼は待っていたのかもしれない。自分の残骸を。その飛散を。最後の轟きの中でふるえる胡桃の、懸命にこちらへ向ってうなずくのを、たしかにぼくは見たような気がする。
― 出典: 胡桃の戦意のために (1982年) 平出隆 [89ページ] 


その影といると、霧雨の帷りを分けて危ない方へ、どこまでもどこまでも歩いてゆける気がした。もう瀝青の花はだらしなく崩れて落ち、塀という塀はふやけてふるえていた。自分の胸から指を抜くと、私は思い切ってその手をとって、ふたりながら宙へ らあ と意味なく翻ろうとした。だが、それよりはやく降りはじめた雨の実の、道を打つ音よりなおはやく、閃光がすべての跳躍を打ち消していた。
― 出典: 胡桃の戦意のために (1982年) 平出隆 [58ページ] 


大藪を抜けちまうと、青く明るく、広々していますんで、ひとまずしゃがんで、空を見ていましたでさ。一旦は飛び散りそうになった自分が、だんだんと元へ集まってきて、ここに自分がいるとわかりましたの。今夜が澄んでいるように、俺の体じゅうが澄んでいると思ったですに。普段よりかよく見えたです。星は燃えているもんだとわかりましたの。
― 出典: 弱い神 小川国夫 [386ページ] 


特急の中でわたしはふたたび少し眠った。目をさますと窓の外はすでに暗かった。雪国へ抜ける国境のトンネルを、わたしは居眠りしたまま通り過ぎたらしい。
― 出典: 夢かたり (1976年) 後藤明生 [333ページ] 


そのあと話はわからなくなった。わたしが忘れてしまったのではなく、たぶん雑煮の話から何かの話に変ったのだろう。わたしたちはわざわざ雑煮の話をするために酒場に集ったのではなかった。しかしわたしはときどきそのときの雑煮の話を思い出した。
― 出典: 夢かたり (1976年) 後藤明生 [53ページ] 


午後七時半。メカニックス図書館に数時間いた。戻ってみると、部屋が楽しそうに見えたので、「ハロー」と四方の壁に声をかけた。これからウィンナーソーセージ入り豆スープをあたためて食べ、熱いお茶を飲み、ヴァン・デル・ポストのカラハリ砂漠ブッシュマンについての本を読むつもりである。
― 出典: 波止場日記―労働と思索 エリック・ホッファー [66ページ] 


ものを書くときに経験する苦しみと難しさとを忘れずに銘記しておくべきである。過去に経験した苦しみの記憶は、信じられないほどうすれている。消え失せた記憶がよみがえるのは、再びその経験をくりかえしているその瞬間のみである。二冊の本を出版して以来、著述家の役割をあたえられ、まったく馬鹿げたことに言葉は指先から流れ出るもの、と考えてしまっている。実際には、一つ一つの文章に頭をしぼらなければならないし、価値のあるものを書こうとするならば一つの観念を長いあいだ一心に考えなければならないのである。
― 出典: 波止場日記―労働と思索 エリック・ホッファー [36ページ] 


今日、私たちが瞬間ということから始めなければならなかった理由がここにあります。「この瞬間」、一瞬が革命的に回転し、場面は反転ないし急変します。彼のもとに死が到来した瞬間がすでにありました。すべてがプログラムされていて、死は不可避的かつ運命的で、したがってすでに到来していました。しかしながら、このような「到来していた」のうちで、ある別の瞬間が、世界を、実存を、恍惚そのものを、いわば転覆させることになります。
この瞬間を、彼は証言することになります。
「この瞬間、世界へ突然回帰した……」
― 出典: 滞留 (ポイエーシス叢書 (45)) ジャック・デリダ [106ページ] 


それゆえこの瞬間、『私の死の瞬間』は私たちに一つのレシあるいは証言を約束しますーーその証言に署名している何者かは、可能な限りあらゆる調子で、あらゆる時制で私たちにこう言います。私は死んでいる、あるいは、私はいますぐ死んでしまうだろう、あるいは、私はそのときすぐに死んでしまいそうだった、と。誰かが話そうとしています、私たちに話そうとしているのです。彼の死についてだけではなく、ラテン語のdeの意味で、彼の死から、つまり彼の死より話そうとしています。
― 出典: 滞留 (ポイエーシス叢書 (45)) ジャック・デリダ [64ページ] 


ニーチェは『道徳の系譜』において、<能動的な健忘>を魂の安らぎと秩序の番人と呼んだ。その能動的な健忘は、不断に懲罰が存在していれば、阻むことができる。なにかを記憶に留めておかねばならないがゆえに、ヴァイスは文学作品を書き、煉獄に踏み入る。かのダンテの『神曲』において、そのとば口で天使が罪の意識の徴として、剣の先でダンテの額に罪(プッカートム)のPの字を刻んだ、その煉獄だ。よりよき人間となる真の条件を見いだす道程に与えられる課題は、苦痛を辛抱づよく絶え抜くことによって、皮膚に刻まれた文字の意味をさぐることである。--まことに古風な方法というわけだ。かの拷問機械もこの原則にのっとって作られていた。流刑地を訪れた男が、いまや失墜した前司令官の発明になることを聞き知る、あの機械である。ニーチェは『道徳の系譜学』でつぎのように書いている。「おそらく、人間の先史時代の全体をつうじて、人間の記憶術ほど怖るべく不気味なものは一つとしてなかったかもしれない。何かを烙きつけるというのは、これを記憶に残すためである。苦痛を与えてやまないものだけが記憶に残るのだ。」

― 出典: 空襲と文学 (ゼーバルト・コレクション) W.G.ゼーバルト [165ページ] 


……物たちは互いにいくらか身を寄せあった。それはあの静止と、それにつづくひそやかな沈殿の瞬間だった。ちょうど飽和液の中でいきなり面が整い、結晶が形づくられるときの…。二人のまわりに結晶が生じた。
― 出典: 愛の完成・静かなヴェロニカの誘惑 (岩波文庫) ムージル 


多くの著作物がわれわれの心を打つのは、もう終りにしたりと焦立ち、終りにしなければ再び昼の空気に立ち戻れぬのではないかと恐れて、余りにもいそいでそこから立ち去った作者の足跡が、なおもそこに認められるからだ。あのあまりに偉大なかずかずの作品、そしてそれを支えている人間よりさらに偉大な作品においては、常にあの至高の瞬間、あのほとんど中心的な時点が予想される。もし作者がそこに居続ければ、彼はその偉大な仕事をしつつ命を失うことになるのを、われわれは知っているのだ。われわれは、雄々しい偉大な創造者たちが、まさしくその死点から遠ざかるのを、だがそれも、ゆっくりとほとんどおだやかな態度で遠ざかるのを眼にするのだ。そして、少しも乱れぬ足取りで、表面へと立戻ってくるのを、眼にするのだ。次いで、そのようにして描かれた半径の、しっかりとした規則正しい線が、その球体の完全さに応じて、その表面を、丸く描き出させるのだ。
― 出典: 文学空間 モーリス・ブランショ

 

エルンストの心は、そのあいだはるか遠いところへ行っていた。パンケーキに何分間もフォークを直角に突き刺したままだった。とちゅうでぽつりと、切手を集めたものです、と漏らした。オーストリアやアルゼンチンの。それからまた黙りこくって、煙草を一本吸い、消ししなに、はるかに外つ国だという気がしたのだろうか、あたかも過ぎ去った人生のすべてをいぶかしむふうに、<アルゼンチン>という語をもう一度くり返した。この日の朝、もしもなにかささいなきっかけさえあれば、私たちはふたりとも空を飛ぶことを学んでいたろうと思う。
― 出典: 目眩まし (ゼーバルト・コレクション) W・G・ゼーバルト


しかし、錯乱が臨床状態に陥ってしまったら、言葉はもはや何ものにも達することはないし、人はもはや言葉を通して何一つ聴くことも見ることもないーーみずからの歴史と色彩と歌を失ってしまった夜のほかには。つまり、文学とは健康であることなのだ。
― 出典: 批評と臨床 (河出文庫 ト 6-10) ジル・ドゥルーズ 


作家のひとりひとりについて、こう言わねばならぬーー彼は見者であり、聴く人、ただし、「見まちがい言いまちがった」人であり、色彩画家にして音楽家なのである、と。
― 出典: 批評と臨床 (河出文庫 ト 6-10) ジル・ドゥルーズ 


手の中で消えたり光ったりする四角から、あなたの言葉が聴こえたり聴こえなかったりすることが、常にわたしの手の中で起こっていて、わたしの手の中には言葉と光が同時にあって、あなたの言葉がこうして届くときは、それはいつも光の中からのことである。
― 出典: 先端で、さすわさされるわそらええわ 川上未映子 


業の重圧を感ずるということにならぬと、霊性の存在に触れられない。これを病的だという考えもあるにはあるが、それが果してそうであるなら、どうしてもその病気に一遍とりつかれて、そうして再生しないと、宗教の話や霊性の消息は、とんとわからない。病的だという人は、ひとたびもこのような経験のなかった人なのである。病的であってもなくても、それには頓着しなくてもよい。とにかく霊性は一遍なんとかして大波に揺られないと、自覚の機縁がないのである。平安朝時代には、日本人はあまりに原始的であった、また感覚的であった。感情の世界へもいくらかはいったが、まだ霊性には触れなかった、物のあはれに止まるよりほかなかった。
― 出典: 日本的霊性 (岩波文庫) 鈴木大拙


記憶とは鈍磨の一種だろうかとたびたび思う。記憶をたどれば、頭は重く、目は眩むのだーー時の無限のつらなりをふり返るというより、あたかも、天を衝いてそびえている摩天楼のはるかな高みから、地の底を見下ろしているかのように。
― 出典: 移民たち (ゼーバルト・コレクション) W・G・ゼーバルト 


時間とは心のざわめきにすぎないのです。過去もなければ未来もありはしない。少なくともわたしにはありません。
― 出典: 移民たち (ゼーバルト・コレクション) W・G・ゼーバルト 


記号一般の根源的に反復的な構造のために、「実際の」言語が想像的な言述と同じくらい想像的なものである可能性、そして想像的な言述が実際の言述と同じくらい実際的なものである可能性は、大いにある。表現にかかわる場合であれ、指標的な伝達作用にかかわる場合であれ、実在と表象=代理の、本物と想像的なものの、単純な現前性と反復のあいだの差異は、つねにすでに消失しはじめているのである。この差異を維持することは(…)、現前性を救い出し、記号を還元=抹消したり逸脱させたりする執拗な欲望に応じているのではないだろうか。記号とともに、反復の力のすべてを還元=抹消したり逸脱させたりする執拗な欲望に応じているのではないだろうか。それは、反復の、表象=代理の、現前性を覆い隠す差異の——保証され、補強され、構成された——効力の中で生きつづけることでもある。
― 出典: 声と現象 (ちくま学芸文庫) ジャック・デリダ 


「そうなんや」
「うん」
 信号が変わって、わたしとゆきちゃんは歩き出した。横断歩道を三分の一ほど渡ったところで、犬とすれ違った。茶色い雑種だった。ちゃっちゃっちゃ、という爪の音が冷たい空気に響いた。それは心に残る音だった。ゆきちゃんはしばらくなにも言わず、なにか考えてるみたいだった。
― 出典: 次の町まで、きみはどんな歌をうたうの? (河出文庫) 柴崎友香 [141ページ]